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体験ストーリー

【体験ストーリー】私の幸運は、パソコンができたこと。人脈がたくさんあったこと。元気だったこと。そして夫が自ら出て行ったこと。 


2012/08/18
私の幸運は、パソコンができたこと。人脈がたくさんあったこと。元気だったこと。そして夫が自ら出て行ったこと。
スピーカー:モラハラ被害者同盟 管理人 熊谷早智子
◆はじめに
私はいわゆるアダルトチルドレンでした。実家がいやで、母が嫌い。当時家を出るには結婚が一番簡単な方法でした。これについては「母を棄ててもいいですか」という本に書きました。なので夫には悪いけど「まあ、この程度でいいか」と思って結婚しました。「駆け込みの焦る心が事故を呼ぶ」といいますが、それに近いものだったと思います。適当でいいかという結婚の仕方をしたため、夫に悪いことをしたなという罪悪感につながったことは否めません。私の結婚は打算的なものでしたが、どんな結婚でも収入のない相手と結婚なんかできるわけがありません。結婚するときは、ちゃんとした普通の結婚生活が送れると思っていました。今では、「たまたまスカを引いた、はずれただけのこと」と思うようにしています。

◆豹変した夫との結婚生活
・新婚旅行で
夫は新婚旅行の途中から豹変しました。機嫌が悪くなると口をきかなくなる人でした。私はACなので、他人の機嫌をとるようにできあがっています。父や母の機嫌をとったりするのと同じように、夫の機嫌が悪くなるとなんとかして機嫌を直してもらおうとするのが常でした。夫を怒らせないようなんとかしようとがんばるようになっていきました。
よく夫が機嫌が悪くなると口をきかなくなると相談すると、行政の相談員から、「ちゃんと話をすればいい」「そこをあなたがうまくやれば」と言われますが、夫のように、口もきかず、背中向ける人とどうやって話をすればいいのか私はわかりません。

・経済的な締め付け
私はずっと安定した職場でフルタイムの仕事をしてきました。結婚した時から、夫は私に生活費を渡しませんでした。私は子どもの時以外は一度も誰かに養われるという経験をしたことがありません。中学校を卒業したときからアルバイトしていたため、仕事をせずに誰かからお金をもらうという経験がありませんので、夫から生活費をもらえないということも、それほど大きなダメージとは受け取りませんでした。
夫はずるくて、光熱費や銀行ローンなど、銀行口座ではっきりと誰がいくら出したかわかるところはお金を出しますが、それ以外の食費やおむつ代、ミルク代などの雑費、ガソリン代など、目に見えない費用は私が出すことになっていました。ボーナスは俺が貯金してやるから全部出せといわれたので渡していました。私はお金を使うことができなくなっていました。

夫は自分が納得するものにはお金を出しました。モラ男の中には、フィギュアなどの収集癖があるとか、車にお金をかける人もいます。しかし、一様に妻が買いたいものにはお金を出さないのが通例でです。妻が化粧品を買うとなると夫から「高いからだめ、へちま水を買え」と言われ、それで顔にぶつぶつができたという被害者も知っています。
私もコートが1着しか買えませんでした。夫から「なんで体がひとつなのにコートが二枚いるんだ」と言われたからです。コートは一番上に着るものだから夫に違うものを着ているとわかってしまうので買えませんでした。また「靴は一足あればいい。足は二本しかないのになんで靴が何足もいるんだ」と言われ、靴も買えませんでした。「あんたはたくさん、何足も靴を持っているでしょう!」と言いたいけれど、言ったら最後、大騒動になるので言えません。私はフルタイムで働いていたのでソコソコの収入があったのに、いつも貧乏たらしい恰好をしていたので職場の人から「もっといい服を着れば?」と言われていました。とにかくお金を使うことができなかったのです。

・子どもたちには厳しい父親
私に対するいじめに比べるとましでしたが、子どもたちへのいじめ対策も課題でした。
夫は子どもをかわいがってはいましたが、私と同じように突然理不尽なことで怒り出したりします。子どもが生まれたら、夫は子どもにあたるから子供を守らないといけないとがんばっていました。でも、それにも限度があり、次第に子どもたちがびくびくするのがわかるようになっていました。
あるときママ友から「お宅の子どもは人の陰に隠れておどおどしているよ」と言われ、こ「これは夫のせいだ」と思いました。このときすでに子どもたちは萎縮して生活していたのです。長男は夫の足音が聞こえると、耳を塞いで、布団の中で小さくなって、夫が私の部屋にくるように祈っていたそうです。上の子は夫からすごくいじめられていて、一番かわいそうでした。下の子は可愛がられていたので、きょうだいですごく差がありました。かわがられていた下の子は上の子ほど被害はありませんでした。

・精神科医との出会い
私は精神科に行くような状態ではないと自分で思っていましたが、夫は自己愛性パーソナリティ障害ではないかと思っていたので、専門家からきちんと診断してほしかったので行きました。知人にどこに行ったらいいですかと聞いて、お医者さんを紹介してもらいました。その医師に「先生、夫を治してください」と言ったら、「治せません。」と言われました。そして「本人が来なければ治せません。別れなさい。裁判所に行きなさい。その時にこの結婚の顛末を書いたものを持っていきなさい」とまで言われました。このとき初診で一時間半くらい話をしました。よい医師と出会えてとても幸運でした。

◆2002年、モラハラというものを知った
フランスで「モラル・ハラスメント」という本が世に出たのが1998年で、瞬く間に13か国で翻訳されてベストセラーになりました。私はこのことを書いたサイトを読んだときに「これ、うちのまんまじゃん」と驚いたことを覚えています。そしてすぐその場で決意した。「よし、離婚しよう」。夫とずーと口きかないままに一年がすぎようとしていた大晦日のことでした。

夫はもともとおしゃべりなのに私に対して嫌がらせをしているからしゃべれません。イライラがたまっているのもわかっていました。「こいつのせいで家のなかでしゃべれない」と思っていたのでしょう。些細なことに因縁をつけ夫が爆発して家を出て行きました。離婚を決意した2週間後のことでした。今までの私だったら「ごめんなさい」といってすぐに実家に謝りに行くところですが、これは渡りに舟以外の何ものでもないので行きませんでした。そのかわりすぐに、離婚をするにはどうしたらいいかをインターネットで調べ始めました。

・離婚調停へ
子どもたちの学年末が終わり、4月に離婚調停を申し立てました。
知り合いの弁護士に相談すると調停で勝つためには証拠を集めろと言われました。一番見えやすい証拠となるのは、お金の流れでした。財産を調べ上げて、夫は財産や貯金がないと主張しているが、「実際はこんなにある」と調停委員に見せると、調停委員たちの顔色が変わっていきました。調停委員はどうも妻のほうが本当のことを言っているらしいと気づき、正直困っていました。

私は欲しいものに優先順位を付けました。一番は子ども、次に家、最後はお金の順位にしました。「お金はいらないから」と言って、家と子どもを要求しました。夫側にすると、お金は全部自分のものになる、渡さなくていいと考えて離婚を了承したのだと思います。私は子どもたちと過ごす時間はお金では買えないと思っていました。財産は夫が死ねば子どものものになります。体が丈夫でない夫は結構早目に亡くなって、子どもたちのものになるかもしれないと思ったりもした。家の半分は夫から私が買い取りました。夫は私のボーナスを私の名義で貯金していたので、夫に取られていた通帳が離婚時に戻ってきたので買えました。私の場合あきらめるものはあきらめ、必要なものはとっていくという調停でした。

私は、モラハラ離婚は物理的に別れること、別居から始めないといけないと思っています。共存しながらの脱出はできるだけやめたほうがいいです。いつ爆発するかわからない爆弾を抱えて暮らすのは精神的によくありません。そして「悪いのは私じゃない。おかしいのはあっち」とスイッチを入れることが重要です。うちの例をみても、夫が出て行って一週間もたったら子どもたちがのびのびしだしたのですから。

◆「モラルハラスメント」の社会的認知が広がる
モラハラが認知されるにあたって幸運だったことは、ブログというツールができたことが大きいと思います。誰でもインターネットにアップできるツールができたおかげで、それぞれ自分のケースを語るモラハラブロガーという人たちがでてきました。お勧めはまっち〜さんのブログ。とても長いので読むのに1週間くらいかかるかもしれません。彼女も結婚から離婚までの経過をずっと書いています。
2005年に突然週刊朝日から取材したいというメールがきました。記者が当時住んでいた地方まで飛んできてくれ、「モラル・ハラスメントという隠された暴力」という特集記事を書いてくれました。それを見たNHKや雑誌社の人からまた取材を受け、「モラハラ」が活字で広がっていきました。そして一番影響が大きかったのは、2006年にフジテレビ「こたえてちょーだい」という番組で『モラハラドラマ』が放映されたことです。私のサイトに来る人たちが協力してくださって、実際の体験談をベースに再現ドラマをつくったのです。出来上がったドラマは真に迫っていて、汗がたらたらでてめまいがするほどでした。フラッシュバックする人がたくさんでたと言われています。
番組を放送している途中からテレビ局に視聴者の人からの電話が一斉に鳴ったそうです。その後、ディレクターが大あわてで電話をかけてきて「第2弾やるからすぐに協力して」と言われたので、サイトの常連さんたちに声をかけました。速攻で取材して、台本を書いてオンエアするというすご技でした。これでモラハラがどっと広まっていきました。モラハラ被害者同盟のサイトも一日300くらいのアクセスだったのが、1回目の放送があった日は6,000アクセスになりました。この記録は今も破られていません。このくらいテレビはものすごい影響力があり、その次は新聞、雑誌です。
2009年、フランスで家庭内モラル・ハラスメントの法案を通すために、モラル・ハラスメントを書いたイルゴイエンヌ医師は6月に国会招致をされ、7月からはテレビでスポットCMをがんがん流したそうです。そして2月には法案成立を果たしました。
一般の人たち、普通の人たちにモラハラはたいへんなことなんだと知らせるためには、テレビは重要な媒体だと思います。

◆モラハラ被害者同盟というサイト
・たちあげ
私はもともとおせっかいな人ではありますが、できることはするけど、できないことはしませんという人です。だからモラハラを知った時は「モラハラ」は世の中の人みんなに教えてあげないといけないと思いました。
私は昔からコンピュータに興味があって、サイトを作ることもできたので、まず掲示板をすぐに作りました。その頃人気のあったyahoo知恵袋みたいなサイトに「モラハラ」っていうのがありますよ、と紹介したその日から、がんがん掲示板に人が来るようになりました。それで日本中にはたくさんの同じ悩みを持っている人がいるということがわかりました。

その頃、私は仕事が繁忙期だったこともあり、掲示板に書いてくれた人一人一人に返事を書くことができなくなりました。そこで考えたのは「わたしよりDVに詳しい人はいる。私より上手に励ましてくれる人はいる。だったらわたしはマネジメントに徹しよう」と思いました。自分ができる範囲のことを、できるときに、体に負担の無いようにやったらいい。DV受ける方はまじめな人が多いので、私も今晩中にお返事を書かないととは思ってはいますが、書けるときに書けばいい、すぐに書かなくてごめんなさいと思っています。私ひとりの力なんてそんなに大きなものではありませんから。

その頃私はまだ離婚をしていなかったので、掲示板では私も悩みを訴えながらアドバイスや励ましをもらっていました。渦中にいる私にとってはとてもありがたいことでした。私は田舎に住んでいましたが、田舎にはカウンセリングルームなんてありません。スクールカウンセラーとか心療内科、精神科はあるけれど、痴呆老人が待合室に沢山いるような所がとても多く、きちんと診断できるお医者さんはあまりいなかったのではないかと思います。

・サイトの特徴
モラハラ被害者同盟の掲示板の特徴は、クローズではなく誰でも入れるものになっています。パスワードもいらない。危険だと言われることもありますが、ネットでの仲たがいを散々見てきた私にとっては一見仲がよさそうにみえる被害者同士が一番怖いと思いっています。ちょっとした仲たがいから、個人情報を流されたりして大事になったりすることもありますので。
大切なのは、匿名、匿住所、匿環境で掲載すること。北海道に住む幼稚園に通う女の子の母ですと書いてあっても、実際には九州に住む中学生の男の子の母だったりするように勧めています。
うちの掲示板は裁判でも正式な証拠として採用されたことがあります。利用した人は、弁護士からミクシーより信憑性があるサイトだと言われたそうです。

・ネットでのトラブル
調停がこれで最終、けりがつくぞといったときに、もめ事を起こしてくれた人がいます。
私はモラハラ同盟の掲示板は、”共感する場、情報提供の場“だと考えていました。「あんたが悪い」とか二次被害的なことは言わないでと利用する人にお願いしています。傷つける言葉を言わないというのが絶対のルール。
私は1997年からネットの世界にいました。相手の顔が見えないネットの中にいると、どんどん傷つけあうことになっていくことがあります。私は傷付けられた人を散々見てきました。
「DVに関しては、横っ面を張り倒しても家を出ろと言わないといけないときもある」と主張した人たちがいる。中からそうだそうだと同調する人も出てきた。私はその人たちを全員追い出すことをした。けっこう大変だった。その人たちはその後モラハラサイトを開いたが、いまはひとりでやっている。
サイトの運営は管理人の考え次第だと思います。そのサイトの考えに同調した人たちがそこに集えばいい。ユーザーはどこのサイトに行くかを自分で選べばいいと思っています。私の運営するの掲示板をこうしろ、ああしろというのはおかしいと思う。わたしはそれはいやだから。このことでは、ずいぶん罵詈雑言、ひどいことをいわれた。

2ちゃんねるなど、悪口言い放題のところがよくありますが、私のところにも「こんなことをいわれました」と言ってくる人がいます。いやなら見なければいいのにと思いますが、そうもいかないのでしょう。ネットも1週間も見ないとネットが無くても慣れてくるものです。バーチャルな世界なので、現実とネットをきちっと分けないと現実が呑み込まれてしまう危険があります。お金を稼いで、子どもと健康に暮らすのが私の現実の世界。バーチャルな世界ときっちり分けることが大切だと思います。
でもバーチャルな世界だったとしても、「あなたは悪くないよ」と言ってもらえること、これだけですごく救われることもあるのがネットの良さです。
ただ、ネットには情報があふれいていますので、その情報が本当にそうなのかは自分で吟味しなければならないと思います。

・家庭での履歴削除など
自宅で一台のパソコンを夫と共有している場合は気をつけていただきたいです。履歴からの足跡の追求の程度も、モラ男がどのくらいパソコンの知識があるかどうかによります。
おすすめなのは、モラハラ同盟をみてから全部履歴を消してしまって、それからダミーでお買いものサイトなんかを見ること。夫がとてもパソコンに詳しい人であれば自宅のパソコン使っちゃダメ。ネットカフェや携帯を使うしかありません。携帯もメール転送をかけられていたりすることもあるから要注意。怖くて書き込めませんという人は書き込まないでいい。読むだけでも相当な量だし、本当に勉強になると思います。

たとえば2ちゃんねるにいろんなことを書かれて、会社がつぶれたり結婚や就職がだめになったという例もあります。ネットは一つ間違うととても怖いツールですが、一方で、ネットはどういうものかをわかって使うと、とてもいいツールでもあります。石垣島に住んでいても、3時間に1本しか電車がないところに住んでいる人でも、ちゃんと励ましの声が届き、ケアしてもらえるのですから。
私はサイトを始めた当時、地方に住んでいる普通のおばちゃんでした。できることといえばパソコンをちょっとさわれたことだけ。その私がやれたんだから、誰でもできると思います。秘訣は、頑張らないこと。自分のできることだけ楽しんでやること。こんなに長く続くと思っていませんでしたが、今年で9年目になります。楽しいからできているんだと思っています。

・本ができたきっかけ
当時住んでいた地方に、野本律子さんがDVに関する講演にいらしたことがありました。講演の中で「今、読売新聞社が原稿を募集している、大賞になるとドラマになります。みなさんも応募してみては」と言われました。それを聞いて「私も出してみよう!」と思い。一週間しかないなかで書きましたが、それはみごとに落選しました。しかし、4年後出版社から出版のお誘いを受け、その時お蔵入りになっていた原稿を引っ張り出し、当時掲示板に書いていた文章なども入れて出版社の人に見せると、「おもしろそう、本にしましょう」といってもらってこの本ができました。ほんとに野本さんのおかげです。

記録は苦しい時に書いておかないといけないと思います。その時の気持ちでないと、今でないと書けないことがありますし、記憶はどんどん無くなっていきます。本を出す時、知り合いに原稿を見せたら「切実さがなくなったね」といわれてしまいました。
ブロガーさんの中には編集者からお声がかかって本を出した人もいます。桃猫さんの「くたばれ!バカ旦那」というモラハラの本、箱ミネコさんは「こんな男いらねえ」という本を出しています。みなさんもぜひトライしてみてはいかがでしょうか。
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