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AWS(Abused Women Support)

体験ストーリー

【体験ストーリー】精神的暴力を受け、一生かけて損なわれた自尊心を回復させる日々


2012/06/18

普通の人の当たり前のことが、私にとってはとても貴重で、ありがたいことなのです


N山さん NPO法人レジリエンス副代表 (40代 子ども2人)

◆認めたくなかった頃

相手がどこかおかしいというのは結婚前から気づいていました。一つ例をあげれば、結婚式の直前になって、「二次会はしない」と言ってきたことです。その時はすでに参加してくれるみんなに案内を出してしまっています。「なんで今更こんなことをいうのか」とすごく悩みました。結婚の一週間前には毎日泣いていました。でもここで結婚をやめたら世間体が悪い、と結婚しました。そのころは、結婚するとなんとかなるのでは、と楽観的に考えていました。ところがそれ以後、「おかしいな」と感じることがしばしばおこり、ますます頻回になっていきました。わたしのケースは夫の精神的暴力でした。その頃は、怒ると厄介な人だと思っていましたが、それが暴力だとは思っていませんでした。私がそんな目に合っているなんて、恥ずかしくて誰にも言えず、惨めでした。暴力だとは気づかなかったのです。自分が認めたくなかったのかもしれないと思います。

◆日々小さなことで怒られる新婚生活

結婚するときピーターラビットのお皿を揃えたんです。新婚だったのでかわいらしいもので食卓を飾りたかったんですね。朝ご飯にそのお皿に食パンを載せて出しました。そのとき、お皿が少し小さくて、食パンの角が1センチくらいづつ出ていました。それで相手が突然キレ始めたんです。「なんで食パンに合わせたお皿を用意できないんだ」っていわれて。その時、答えようもなかったです。怒鳴られ、責められ、お皿を壁に投げつけられました。
言い返したこともあります。泣いてみたこともあります。泣いたら許してもらえるかとひとつの作戦として。でもだめでした。夫婦間の問題について書かれた本があると飛びついて読んだりしました。しかし、ことごとくうまくいかないんです。ただひとつ、「私が悪かった。ごめんなさい」ということだけが、一番安全な対応だということがわかってきました。
私も勤めを続けていたのですが、帰ってきてしっかり夕食を作っていました。その日の献立は、忘れもしません。お味噌汁と野菜のお浸し、かぼちゃのそぼろあんかけとサンマのを焼きものでした。焼きたてあつあつのサンマを食卓にだし、ご飯をよそっていました。その時相手が言ったんです。「サンマは最後に出すのが当たり前だろ」。私は思いました。「ご飯をつける時間は15秒くらいだし、そんなこと言っている間にサンマはますます冷めるのに・・・」。でも私は何も言い返せなかったんです。
お皿や魚の事件のような、そんな小さいことが毎日毎日、事あるごとにやってくる日々でした。薄い紙が何枚も、何枚も重なりあうような、傷つき方をしていくような感じです。気づいたときには薄い紙が電話帳のような厚さにまでなっていて、心の中にあるという感じです。

◆「ごめんなさい、私が悪かった」以外何も言えなくなる

このように相手に怒りのスイッチが入った瞬間に話し合いができない状態になり、私は何も言い返せなくなりました。初めは私が「ごめんなさい」というと収まっていたのですが、次第に、謝っても「口先だけで謝っているだろ」と言われるようになりました。また、「こういう理由なの」というと、「言い訳しやがって」となります。こうして簡単に怒りが収まらなくなると、夜中までねちねちと怒り続けることが始まりました。「いま言ったことをもう一度言ってみろ」ということが明け方まで続くんです。それを仲間のグループで話すとある星さん(DVサバイバー)が「それはね、オールナイト説教というのよ」と教えてくれました。それまでは、こんなひどい目に合っているのは私だけだと思っていました。ほかの人もこんな大変な目に合っているとは思ってもいませんでした。大きなマンションをみかけて夕暮れになってお部屋に光がついていくのを見ると、「みんな幸せに暮らしているのになんで私だけこうなっちゃったんだろう」と思っていました。それが最近では、“DV被害女性は3人に1人”と言われていますから、マンションの灯りをみると「ここにDV被害女性は何人いるだろう」「アルコール依存の人は何人?」と思うようになりました。

◆それでも、“怒りの地雷”を踏まないように、むなしい努力を繰り返す

私は相手のいうことを全部クリアしたら怒られないのではと思って努力しました。相手から言われたことを全部メモしていきました。「ビールは飲む15分前に冷凍庫に入れる」「子どものおやつは煮干しや梅干しなど、天然のものにする」「返事をきちんとする」「水を使っているときは聞こえないので要注意」など、事細かにメモをして、日々すごく気をつけていました。その時は、私が完璧じゃないから怒られるんだと思っていました。そうやってお皿やおかずのことなどは最大に気を使って、注意を払って、すべてクリアしたところで、また新しいことがやって来ることがわかったのです。
相手と一緒に横断歩道を渡っていた時のこと、「おまえ今、右左みたか?」と言われました。「そんなことも知らないなんて、小学校で習わなかったのか」と。私は道を歩く時も緊張していました。相手が横断歩道を右左みていないで渡っている現場を見ました。けれど「あんたも右左みてない」と突っ込めないんです。突っ込めるような相手ではないからです。頭のなかでこういえば、ああいわれるとシュミレーションしてから行動するようになっていきました。ある月がきれいだった夜のことです。「お月様がきれいだね」と言おうとしました。しかし、相手からは「何で上を見て歩いているんだ」と言われることが考えられます。だから次第に何も言わないようになっていきました。すると「なんで黙っているんだ」と怒られました。
その頃は、身体的な暴力はメインではなかったのです。心の内側では自分がどう思うかではなく、相手がどう思うかばかり考えて生きていました。ここで何をいうと安全なのか、地雷を踏まないように、常に注意しながらの毎日でした。こういう生活はとても息苦しいものでした。それが子どもが生まれるとさらに大変になっていきました。子どもがお友達と会うとチョコやラムネを食べたりするんです。でも私は、子どもに「食べたことをぜったい言っちゃだめ、ないしょよ」ときつく言うんです。小さい子どもにはほんとにかわいそうなことですよね。このように、私は子どもが相手の地雷を踏まないように、常にコントロールしようとし始めました。

◆「このままでは子どもを守れない」。危険を感じて家を出る

妊娠中に顔をたたかれるということがありました。私は、出かける相手の着替えのシャツをかばんに詰めていました。「これでいい?」と相手に聞いたところ、「なんでいつもそれなの」と言われ、「じゃあ、違うのにするね」と言いました。すると「なんでそれかと聞いているんだ」「なんでそれに答えないんだ!」と言ってきました。その時私はちょっと黙ったんです。
突然、顔をたたかれました。私の顔の正面にあたって、鼻血がでたんです。顔をたたかれた経験はこれが生涯で2回目だったので大変驚きました。この時私が妊娠中だったことがポイントでした。それまでであれば、私は「ああ、また失敗した」と考え、起きたことを「なんでもないことなんだ」と思い込み、「小さいことなんだ」と矮小化することが常でした。それがその時は、これはお腹の子に対する暴力だと思ったんです。いつものように小さいこととして麻痺させることができなくなっていました。そのあと、相談室に電話をしたり、保健師さんの訪問を受けたりして、専門家の支援につながっていきました。

元夫は、娘のことをすごく可愛がっていました。その娘が一歳くらいのとき、何かを振り回して遊んでいて相手に当ったとき、元夫は娘に向かって「ごめんね」というんだよと言いました。そして「なんで謝れないの。そんな子じゃないでしょ。ちゃんと謝りなさい」とすごくしつこく言ったんです。対等な夫婦関係だったら、「一歳なんだから、そんなこといってもわからないでしょ」と言えたと思います。でも私は介入できなかったんです。私に向かって相手が「この子、謝らないよ」と言ったとき、私は一歳の娘に「謝りなさい」と言っていました。自分が間違っていることは分かっていました。ただこの時は、相手に従い、こうすることが一番安全だったんです。しかし、同時に「このままだと、子どもを守れない」と感じていました。このすぐあとくらいに家を出ました。
精神的暴力は、相手の体に傷が残る身体的暴力の怖さとは違う、無力にさせていく怖さがあります。
◆元気を得た支援とのつながり、仲間との出会い

遠藤嗜癖問題相談室やIFF、さいとうクリニック、練馬女性センターなどとつながっていきました。「とにかく別居してみるのはどうか」と言われて、それなら始められると、別居を始めました。相手と離れたことと支援を受けられたことで離婚ができたと思っています。
ある相談室でレクチャ−を行っていました。嗜癖とはとか、アダルトチルドレンとは、などの講義です。本でもいいと思いますが、私は自分に起きていることが何なのかすごく知りたかったんです。講義を受けている内に、次第にしっかりした意味づけができてきました。暴力を受けている関係とはなんなのか、相手からされてきたこと、自分に起きていることは、こういうわけなんだということが分かってきて、私が悪いわけではなかったんだ、と呪いが解けていくような感じがしました。そうして、DVに関する情報が入ってくると、ほかの人の話が心に入ってくるようになり、気づきがあり、レクチャーの内容ともつながり始めました。私の心のなかにある、こんがらがっていた糸がほどけていくような感じでした。私はこの“こんがらがった糸”を死ぬまでほどき続けていくんだなという気持ちがしています。また、グループに参加したとき、同じような体験をした女性たちがこんなにいるんだと驚きました。そして「ほかの人にはわかってもらえないことが分かってもらえる」ことがすごくありがたかったし、力になりました。DVを知らない人に、お皿の件や例の魚の件を話したら「なんでそこで謝るの」といわれ、まったく理解してもらえないのですが、仲間はイントロの部分を話しただけで、この先はたぶんこうなるんだなとわかってもらえるんです。経験をわかってもらえる人たちがいるというのはすごく大切なことだと思っています。

◆調停から離婚、面会

その後、調停をして、婚費請求をしたりしました。5年目でやっと別れることができました。相手と離れたことや支援を受けたことで元気が出てきました。また、仕事を始められたというのもよかったことです。社会の中でやっていけるという自信につながっていきました。
相手と別れた後、私は相手と子どもを会わせることについて抵抗がなかったんです。当時は本当に疲れていました。一人で二人の子どもを育てるのがほんとにいやになっていたんです。保育園に預けてホッとしたりしていました。そんな状態ですから、相手との面会も、何時間か子どもと遊んでくれるのならいいと思っていました。しかし、一筋縄ではいきませんでした。子どもの受け渡しの際に睨みつけてきたりとか。 相手はちょっとしたメールのやりとりで「明日はいきません」と言ったりするものですから気が気ではありませんでした。いやな思いは続きました。あるとき、一通のメールが来ました。内容は「あなたのような輩とは今後やり取りすることに耐えかねますので、残念ですが子どもとの面会はできないことになります。あなたが死んだら子どもと会えます」というものでした。子どもにどう説明しようかととても困っていました。こうして、別れた後も私を困らすようなことを続けられてきました。

◆養育費不払い

そのあと、なんだかんだと理由をつけて、相手が養育費を払わなくなったんです。弁護士さんに相談するとすぐに「よし裁判だ」ということになりました。面会が止まり、養育費が止まり、連絡ができないという流れになっていきました。すでに相手の住所が変わっていて、携帯もつながらなくなって連絡がとれなくなっていましたから「やられたな」と思いました。でも弁護士であれば住所を調べられるのですね。裁判所からの手紙が届いたら、相手は養育費を滞っていた分もすぐに振り込んできました。その後は連絡もありません。住民票をみて、初めて分かったことがありました。相手は再婚していたんです。そして、子どももいたのです。子どもに「お父さん結婚したみたいよ。あなたの兄弟もいるのよ。だから前の奥さんや子どもに会うのができなくなったの」と説明できる理由ができたのでよかったと思っています。

◆DVを受けてきた自分を受け入れる

私は、自分の人生を元夫に仕切られてしまったような気がしていました。そして、いつこの傷つきがなくなるのか、いつDVにあうまでの私に戻れるのだろうか、とずっと考えていました。そうしている内に、この頃は、これは一生モノなんだ、一生つきあっていくことなんだと思うようになってきました。覚悟ができてきたのですね、今は受け入れられつつあると思います。今までは、いつピアサポートグループに行かなくてよくなるんだろう、と思っていましたが、つらい気持ちが起こってきたら、「サポートグループに行こう」と思えるようになっています。 今でも心が重たいなと思ったら、気を整える治療とかトラウマを落としていく治療などを回復ツールとして持っています。
今でも私は男の人の大きな声が怖いです。駅前の自転車置き場に怖いオジサンがいるのですが、そこでは妙に丁寧にあいさつしたりしている私がいます。なんであんなおやじに媚びてるのか、と自分で嫌になったりします。機嫌の悪い人がいると、信号が発信されて「あぶないぞ」という感じになるんです。気になって仕方がないのです。こういうことは、小さくはなっていくけれど、消えないのかなと思うことがあります。

◆今、そしてこれから

今、二人の子どもたちは思春期に入りました 。いろんな問題をおこす年代です。問題を起こすたびに、「ほんとにもう」と思うと同時に、元夫がいたらとても大変だっただろうなという思いがよぎります。子どもに何か起これば、確実にひどい目に合わされることが分かっているので、「よかった。いなくて」とほっとすることもたびたびあります。そんな平和を感じているのです。DVを経験していない人にとっては当たり前のことが、私にとってはとても貴重で、ありがたいことと思えます。
私は、父親の話はタブーにしたくなかったので、子どもたちとも父親の話はよくします。「あなたのそういうところはお父さんそっくりよね」とか。私は、DVによってたくさんいろんなものを失いました。その一つ、相手の母親との関係です。彼女はとても良い人でした。自分もDVにあっていたので、私のことをよくわかってくれていました。つながりが切れたのがとても残念に思っていました。それが2,3年前から美味しいものを送ってくれたりし出して、再び交流ができ始めました。あきらめていたご縁が戻ってくることもあるんですね。どこかほっとした感じもしています。まだ戻ってきていないことは「自尊心」や「恐怖を感じない私」です。けれども、戻らない部分についても「悔しい」という気持ちを吐き出していくことで、少しづつ形がかわってくるのではないかと思っています。そうやってこれからも進んでいくんだろうなと感じています。

NPO法人レジリエンスでは

レジリエンスに関わった経緯は、ほんのお手伝いのつもりがずるずると現在に至ります。被害者として体験を語る意味を感じていますが、同時に自分のケアを行いながらでなくてはならないということを痛感しています。
団体としてこれからは“性暴力、とその後のケア”について取り組みたいと思っています。今NPO法人レジリエンスでDV被害者のための“こころのcareタイム ”を実施しています。自尊心を取り戻すために何ができるかを考えています。ちょうど今年度は光交付金が出ていますので、無料で実施しています。また、ファシリテータの6日間養成講座も実施しています。7月2日世田谷区でDVなどについてやアートセラピーを試してみましょうという講座があります。アートセラピーは言葉で表せないとてもいい効果があると思っています。ぜひ皆さんも参加して体験してみてください。
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