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AWS(Abused Women Support)

体験ストーリー

私がラッキーだったのは野本さんたちのお陰。今度は私が返す番。


2013/03/14
光のメッセージミーティング感想
高木登士子(仮名)

日時:2013.03.02.13:30〜16:30
講師:野本律子さん 全国女性シェルターネット理事

ミーティングは、野本律子さんの自己紹介から始まりました。何度か伺っているお話ですが、話し手である野本さんにも聞き手である私にも変化があるので、聞こえる部分、印象に残る部分が毎回違います。今回は野本さんとの違いを強く感じました。

 野本さんのお話にでてきた「(自分の)母親のような母親になりたくない」「絶対、父や母のような夫婦にはなりたくない」の部分は、「そうそう、本当にそうだ」と、思いました。
 違いはその次に訪れました。一番違ったのは、「飛び出すしかなかった」「子どもを連れて家を出た」の部分です。私は夫を追い出したからです。
 私も子どもを連れて家を出ることを考えていました。いつ出るか?何を持ち出すか?子どもの学校はどうするか?……事情を知っていた友だちも一緒に学び、考えてくれました。友だちが、DVを夫婦喧嘩や私が夫の扱い方を知らないせいだと考えなかったのは、野本さんたちの情報発信のお陰でした。
 * * * *
 元夫はモラハラ系でしたので、私を追い出し、子どもと楽しく暮らすことを夢見、それを私に聞かせました。今でも不思議なのですが、当時は家族全員が「私が家を出る」と思っていました。

 DVについての資料を暗記するほど読み、学ぶうちに、ある日突然、キッチンの隅にうずくまりながら「何故、私が、家を出なくては行けないのだろう?」と考えました。
 そのすぐ後に元夫が帰宅して、「いつ出るの?迷惑しているんだ」と高飛車に言い放ちました。
 私は「私、出ないわよ」と言いました。
 元夫は、数メートル後ろに飛び退きました。これは嘘です。狭いキッチンだから、本当は数ミリでしょう。でも、私は元夫の動揺を見逃さなかったので続けました。
「だって、ここにいて私には何にも損がないもん♪」
 元夫は狼狽し「出ると言ったじゃないか」と言いました。
「うん、でも止めたの」私自身の潮が変わりました。

「校長先生も知っているわよ」との私の一言で完全に立場が逆転しました。
 元夫はPTA会長の座を狙っていました。それで足繁く子どもの学校に通っていたのですが、既に知っていて校長先生も素知らぬ顔をしていたことを知り観念し、彼はその日のうちに、引越し先をみつけました。

 DVって不思議だと思います。信頼の上に成り立っています。元夫は私を信頼していました。私が外部に漏らさないと、絶対に漏らさないと信じていました。私は他のことを信じてほしかったと思います。
 現実には完全にうまく行った訳ではありませんが、すべてを諦め、家を出ることに比べれば被害は軽くてすみました。
 * * * *
 私がラッキーだったのは野本さんたちのお陰です。
体験や情報を公開し、更新し、日本に住む私たちが使えるようにしてくださったからです。野本さんの「自分史」は「日本でDVが発見され認知され軽減され行く歴史」だったのだと、再認識しました。
 私に必要だったのは、翻訳物の「海外のディーヴィーの知識」ではなく、体験から導かれた「日本のディーブイの実情」でした。アメリカにはあるのに日本にはないサーヴィスを数え上げ嘆く支援ではなく、現実的に「使える」知識の提供でした。

 野本さんのお話を聞いて「今度は私の番だ」「私が返す番だ」と強く思いました。私はこれからも先輩たちの後をついて行くでしょう。でも、私もできることをします。
 人はみな違います。考えも行動も違います。経験も目標も違います。でも、その違いを大切にしつつ、ゆるやかにつながり、助け助けられ生きて行きたいと思いました。
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