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クローズライン・プロジェクト インタビュー


2012/08/10
クローズライン・プロジェクト(Clothesline Project of Japan)インタビュー  
Clothesline Project of Japan 代表 中山美奈さん

Clothesline Project of Japan(CPJ)は、中山美奈(37歳)が代表する団体である。彼女はDV被害者であるが、それ以前にさまざまな性暴力被害も体験した。2年前に夫と離婚し、現在の彼女は3人の子どもを育てながら銀座にある会社を経営し、CPJの活動もリーダーシップをとって行っている。

●CPJの活動の目的
DV・性暴力・児童虐待などの人権侵害犯罪は誰にでも起こりうる犯罪であり、日常的にあふれていることを訴えることを第一の目的にしている。USAで活動が始まり全世界に展開。CPJは日本における拠点であり、日本国中に活動を展開しつつある。

●CPJの3つのプロジェクト
1)Tシャツアートプロジェクト:沈黙を強いられてきたサバイバーの怒りや希望などの気持ちをTシャツに思い思いの色や文字で表現してもらい、集まった作品を展示することで体験者・遺族の声を発信する場を提供し、関連事業を営むことでDV・性暴力防止を目的にする活動。カラーコード(白:近親者を暴力によって亡くした、赤:すべての性暴力被害者、青:近親者による性暴力被害者、黄:性暴力以外の暴力・虐待、緑:被害者の家族・支援者)に沿って用意する。Tシャツアートプロジェクトには、①アートセラピー的要素、②社会とサバイバーをつなげる、③暴力被害の学習的な要素がある。

2)パープルリボンプロジェクト:Tシャツ型のメッセージをはめ込んだオリジナルグッズ(キーホルダー・ストラップ)をつくりながらの生産性のあるグループ活動。収益はサバイバーの収入として渡す。

3)エコープロジェクト(共鳴する啓発ワークショップ):埼玉県某市の職員研修(性被害の実態と被害者のこころの傷など)の講演やワークショップ。24年度も5月・6月に東京都内で連続講座(人間の暴力性について)、7月に神奈川県内で講演会(男性が活動に参加するということ)とTシャツの展示を予定。今年ははじめて男性スタッフがデビューする(シェルタースタッフ経験者)

●団体の危機管理
代表の中山さんだけがサバイバーとして顔も出している。スタッフは20代〜30代と若い。「あなたの気持ち、名前や顔を出さなくとも伝えることができる!」というのが団体の強み。Tシャツに表現させるという形に表れているように、スタッフもサバイバーか支援者かを開示する必要がない。そのスタッフの安心感が参加者の安心につながるというCPJの活動しやすさとなっている。彼女は有資格者や勉強してきた支援者を信用しない。なまじ勉強したと思っている人はステレオタイプな見方でマニュアル化、体系化をしたがる。サバイバーの力を信じていない。サバイバーが置き去りにされる。むしろ「何も知らないけど…」という人に積極的に期待する。

ただお互いに対する尊敬と多様性を大切にしているし、尊重したコミュニケーションを要請する。それがきちんとできているから参加者の受け皿が広くなる。個人情報がむやみに出ないので安心感がある。代表だけが誰がサバイバーかを知っている。何をおいてもスタッフを守ることが代表の仕事と思っている。CPJには男性サバイバー(男性支援者も)が多く参加しているのもこの安心感が大きいのかもしれない。CPJは直接的支援(助けてあげる)でなく、間接的支援(本人の力を信じ通訳的役割)をする。

「私は世代が古いので(と代表は自嘲的にいう)自助・ピアサポートもやりたい気持ちもある」が若いスタッフには心理的負担があるようで、実現していない。無理をしないことが危機管理になっている。

●代表の成育歴・被害歴
1)彼女の最初の被害は小学校5年生の夏に見知らぬ男性から裸の写真を撮られるという体験。自分を犠牲にして一緒に遊んでいた友達を護りきったと安堵はしたが、自分の身体は汚れてしまったと感じ、両親にも被害を告げることができなかった。以後、その記憶を失い、原因不明の悪夢やうつ症状に約20年間悩まされる。

2)翌年には同級生男子と数人の加害者からレイプ未遂。それも打撃であったが、最も辛かったのは、直後にその被害を打ち明けた友だちからの二次被害ともいうべき対応で、小学6年生にして人間不信に陥る。うつ病が悪化し、中学2年生で不安神経症も発症した。

3)1995年に結婚し、3人の子どもを出産したが、会社同僚からのストーカー被害や夫の近親者によるレイプ・強制わいせつ、そして夫のDV…。

4)その後、2004年のある日、小学生時代の記憶がよみがえり、不安神経症やうつ病の原因が明確になったことで霧がはれたように病状は快方に向かった。そして2007年10月に在米フォトグラファー大藪順子 (レイプ被害をきっかけに被害者にインタビューして写真を撮る活動を始める。著書にSTANDがある)と会い、この出会いを機に多くの性暴力サバイバーと知り合うことになった。

彼女が小6時に体験したように、多くのサバイバーが直接的な被害だけでなく、二次被害も受けていた。執拗な加害者の追跡や二次被害などを怖れて多くのサバイバーが沈黙を強いられていることに改めて気づいた。

5)彼女の周囲には男女を問わず協力的な支援者も多くいて、名前も顔も公表せずに声をあげられる場として日本のクローズライン・プロジェクト設立のため協力。2008年の11月14日に旗を揚げた。翌年の7月25日からは賛同者が集合し、理事10名の任意団体として活動を広げている。

●強さの理由
CPJの代表であり、会社経営者であり、3人の子どもの母親である中山さんが、長く精神症状に悩んで学校にもあまり行けなかった過去が信じられない活躍をしているのは、幸運と基盤となる幼小期に培われた自己評価の高さのためと本人は言う。日本で第一人者という腕の良い技術者の父親は徹底的に彼女を褒め、支えてくれる。(性被害を知らされた母親が気づかなかった自責に苦しみ「なぜその時に言ってくれなかったの」と彼女にせまるのは辛いが…)。

父の仕事の関係で年長さんのとき、一年海外生活をした中山さんは、生まれて初めて絶対的マイノリティ体験をした。東洋人を見たことがなかった現地の園児たちは残酷なほど徹底的に何カ月も彼女を苛めた。彼女も言葉のハンディをものともせず徹底的に闘った。そして最終的には日本に帰るのが嫌だというほどの友達が何人もできた。この経験があるから大人になった今、「あの時、乗り越える力があった自分だから大方のことは大丈夫」と思える。

子どもたちが発達障害と指摘されたため、徹底して子どもと向き合った。そしてAgape という発達障がいに関心のある人々の会を立ち上げた。こちらも「親」「本人」「支援者」 という枠を外した。自身も「自閉傾向」があることも理解できた。主婦・母には向かない障害・症状であるが、彼女にとって「過集中」はひとつのストレス解消法だ。

性被害体験のPTSDでうつ病やパニック障害を長く患い、通学も十分でなかった彼女は16歳から働き始めた。「私、無学なんです」とさらりというが、働く中で独学で様々な実践的知識や知恵を自分のものにしていった。主に医療分野であるが、カウンセリングを十分に行うことで治療効果が高まることを観察し、セラピストとなった。彼女こそ、PTG(トラウマ後成長)を体現した存在である。
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